Vol.3

綯屋

箒職人
横畠 梨絵 さん

箒の材料となるホウキモロコシを
自ら栽培している横畠さん。
用途によって
大きさはさまざま。
箒を作ることが種を継ぐことに
つながる。

箒の材料となるホウキモロコシを自ら育て箒を編む横畠梨絵さん。箒屋で職人として働き、その後独立。独立に際し縁のあった常陸太田市に移住。現在の制作拠点となっています。最初は仕事にするつもりはなかったといいます。箒のワークショップに参加したのがきっかけでした。その箒屋は一度廃業して立て直したばかり。箒職人として働いてくれる人を探していたそうです。横畠さんはその頃、アパレルのデザインの仕事をしていました。流動的に新しいものが次々に作られていくアパレルの世界に気持ちが離れつつありました。アパレルの世界に入ったのは元々ものづくりがしたくてパタンナーを目指していたから。そうして箒屋で職人として働いていくうちに箒が暮らしに即した道具なんだと理解していきます。「箒は民衆の暮らしから生まれた道具。

作るのも面白いし文化的な背景を知るのも興味深く面白い。惹かれるものがありました」。箒を古いものだとは思っていない、作る価値があるものだといいます。「みんながみんな箒を使って欲しいとは思っていないんです。ただ生活の一こまに箒が便利な場面があるとは思っていて。掃除機を使いながら箒で掃きたい場面、例えば夜の時間帯や子供が寝ている時」。「今の人の暮らしに合った箒の使いかたを考えるのも面白い」と、一人の生活者としての目線、箒の便利な部分を理解している箒職人としての目線から話します。材料となるホウキモロコシも自ら栽培する横畠さんですがそうしなければならない理由があります。箒は戦後、電化製品に押されて衰退していきます。箒の技術を中国に輸出、中国で機械化されて編み込みの箒が衰退してしまいました。

そして材料となるホウキモロコシを農家さんが作らなくなり、そこからどんどん材料が手に入らなくなり、各地の種がどんどんなくなるまでに。「私は箒を作りたいけれど、材料がないから作らなければならない。自然はもちろん好きなんだけれども、ほとんど手作業の農作業はとても過酷で必要にかられてやっています。制作に専念もできるので、できることなら材料として購入したい気持ちもありますが品質の安定から考えると自分で材料から最後まで管理できるほうがいい箒ができます」。横畠さんが初めてジーンバンクを訪れた時でした。「農の仕事に関わるまでは、背景を全く知らなくて、どのように種が保存されているのか。人の手で大事に育てられ、種を採る。毎年毎年、人の手がかけられていることに驚きました。でも、そうだよなあって」

横畠さんの箒を見に展示会場に訪れた人は、最初は道具としての美しさに惹かれ、手にとってみると使い心地のよさに驚かれます。畑の作業は独立後、今年で3年目。横畠さんは、いい草ができるよう、日々格闘しています。「今、自分ができること。残せるものは残していきたい。縁があってうちに来た種は継続しています」。

綯屋
横畠 梨絵

茨城県常陸太田市
INSTAGRAM:https://www.instagram.com/rieyokohata